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相談室 つなたま
指定特定相談支援事業所・指定障害児相談支援事業所
指定特定相談支援事業所・指定障害児相談支援事業所

相談室 つなたま

合同会社つなたま

【開設】2026年4月1日、開設しました。

代表者挨拶

代表者 町田 崇

相談室つなたまのホームページをご覧いただき、ありがとうございます。代表の町田 崇(まちだ たかし)です。


相談室つなたまは、どの法人・事業所にも偏らない、中立で公平な相談支援を行いたいという思いから立ち上げました。


障害福祉の現場で支援をしてきた中で、相談支援事業所と連携することの大切さを繰り返し感じてきました。相談支援専門員の方に支援の土台に加わっていただくことで、事業所の中で接しているだけでは見えにくい、その方のご希望や強み、課題をモニタリングの場で改めて把握でき、日々の支援に生かすことができるからです。


一方で、いざ相談支援事業所を探して問い合わせると「今は手いっぱいで……」という声をよく耳にしてきました。その経験も、開設を後押しした理由のひとつです。


下記にご紹介しますように、これまでさまざまな支援の現場を経験してきました。その経験を生かして、その方の生活全体をていねいに伺い、アセスメントをしながら、障害福祉サービスはもちろん、制度外の地域の資源(※)も含めて支援の全体像をご一緒に考え、調整し、継続的に見直してまいります。時には、まだない資源を新しく創り出せたら——それは望外の喜びです。


一人ひとりのお話にじっくりと耳を傾け、その方のペースに寄り添いながら支援を進めてまいります。どうぞお気軽にご相談ください。


※ここでは、利用できる仕組みやつながり、地域の助けになるもの、役立てられるサービスや人の輪、場所という意味で使いました。

代表者 町田崇

保有資格

精神保健福祉士 社会福祉士 公認心理師


略歴

理念

「つなたま」の名前に込めた想い

01

「つながる・さいたま」です。この名前のとおり、利用者、家族、支援者、地域をつなぎ、ともに歩んでまいります。

02

「つなたま」の「たま」には「魂」(たましい)の意味を込めています。「大切にしたい思い」をつかみ、つなげていきたい。「大切にしている価値観を守る」「信念を持ち続けていきたい」——そうした思いをこの名前に込めました。



支援の方針

(1)本人中心の支援

利用者ご本人の「こうなりたい」という思いを第一に考え、本人の意思決定を支援します。一人ひとりの個性や強みを活かし、その人らしい生活の実現を目指します。

(2)丁寧で継続的な支援

初回相談から計画作成、モニタリング、計画変更まで、切れ目のない支援を提供します。信頼関係を大切に、しっかりとお話をうかがい、寄り添う支援を心がけます。

(3)多機関・多職種連携

障害福祉サービス事業所、医療機関、教育機関、行政等と緊密に連携し、チームで支援します。地域の支援ネットワークの一員として、ご利用される方々を包括的に支えます。

(4)ピアサポート・相互援助の重視

同じ経験を持つ方々による支え合い(ピアサポート)や当事者会・家族会等の相互援助グループの力を重視します。必要に応じて、これらのグループへのつなぎや情報提供を行い、利用者が孤立せず、仲間とともに歩める環境づくりを支援します。

(5)家族支援の重視

当事業所では、障害のある方への支援にあたり、ご家族の思いや状況にも丁寧に耳を傾けることが大切と考えています。必要に応じて適切な情報提供を行い、支援機関や社会資源へとつなぎます。そうした関わりを通して、本人と家族双方の生活の安定と安心を支えてまいります。また、将来的にはご家族同士がつながり、支え合える関係や場が地域に広がっていくよう、できることから関わっていきます。

(6)サービスの質向上

相談支援専門員の資質向上(研修参加、最新の知識・技術の習得)はもとより、相談員自身の健康管理、セルフケアを重視します。そのため、専門家からの助言・指導(スーパービジョン)の活用や、支援者同士の学び合い・支え合いの場(相互援助グループ等)への参加を通じて、常に前向きに利用者と向き合える体制を整えます。また、こうした取り組みを通じて、自分自身の考え方や感じ方の傾向を振り返り、相談支援の実践が利用者にとって不利益とならず、有益なものとなるよう努めます。

(7)法令遵守・権利擁護

障害者総合支援法、児童福祉法等の関係法令を遵守し、利用者の権利擁護、個人情報保護を徹底します。虐待防止に努め、安全・安心なサービスを提供します。


相互援助グループのイメージ

事業内容

・指定特定相談支援事業
・指定障害児相談支援事業

障害や難病のある方、またそのご家族が地域で安心して生活できるよう、サービス等利用計画の作成や関係機関との連絡調整など、包括的な相談支援を提供してまいります。

事業所紹介

東浦和駅から徒歩4分、JR武蔵野線沿いにある静かな環境の相談室です。落ち着いた雰囲気の中で、しっかりとお話をお聴きします。

相談室内観

相談室内

建物外観

建物外観(シェリールⅡ)

建物外観2

建物名(シェリールⅡ)

見沼代用水西縁の桜並木

見沼代用水西縁の側道は桜並木になっています。


主な対応地域

さいたま市緑区 南区 浦和区 中央区 大宮区

また、他市を含めて事業所から概ね半径5km圏内とします。その他の地域についても相談に応じますので、ご連絡ください。

会社概要

会社名合同会社つなたま
事業所名相談室 つなたま
代表者町田 崇
本社所在地〒330-9501 埼玉県さいたま市大宮区桜木町2丁目3 大宮マルイ 7階
※登記上の住所です。
事業所所在地〒336-0926 埼玉県さいたま市緑区東浦和5丁目4番地11 シェリールⅡ 203号
開設日2026年4月1日

アクセス

JR武蔵野線 東浦和駅から徒歩4分(約300m)


東浦和駅改札から直進。すぐ前の信号を渡り、ウェルパーク(ドラッグストア)の右わきを通ります。ゆるやかな坂を下り、ダンススタジオエッグ、吉場公園を過ぎて、道なりにやや左に曲がります。左側の2つ目の建物(茶色いほうの建物)のシェリールⅡ 203号室です。

お問い合わせ

連絡先

電話 048-606-4930
メール tsunatamasoudan@gmail.com
案内図

代表者ブログ

2026年4月吉日
あらためまして
ブログ冒頭写真

あらためまして、相談室つなたまのホームページをご覧いただき、ありがとうございます。代表の町田 崇(まちだ たかし)です。
このたび、2026年4月1日に指定特定相談支援事業所・指定障害児相談支援事業所を開設いたしました。
略歴は本文に掲載しましたが、自己紹介と開設の経緯のご説明を兼ねてもう少し書いていきたいと思います。

私は大学進学時には、小学校教諭を目指していました。小学校の卒業式で「ああ、ここに先生として戻ってきたいな」と思ったことを覚えています。

小学校から中学校時代に、T君という軽度の知的障がいのある同級生が近所に住んでいました。T君は特殊学級(当時の呼び方。現在の特別支援学級にあたります)と普通クラスの両方に参加していました。

私の母は当時幼稚園教諭でした。私に「T君と仲良くしてね」と言いました。母は学生時代に保育についても学んでいたそうです。私は後に福祉を学び直して、「保育士(当初は保母)は、福祉士資格がなかった時代、唯一と言っていい福祉分野の資格だった」(※)と授業で習い、この言葉の背景が分かった気がしました。

ともかく私はどうにかT君と「仲良く」しようとして近づいていきましたが、うまくいきませんでした。「こないでー」と言って逃げられてしまうのです。それでも懲りずに近づこうとしていたある日、体育の授業でT君を肩車する役割になりました。先生はたしか「町田、無理しなくていいぞ」と言ってくれたのですが、どうにか肩車しようとT君を追った私は、最後にT君に軽く顔をチョップされてしまいました。クラスメートや私がやや大げさに騒いだので、T君のお母さんがお詫びに菓子折りを持って私の自宅を訪ねてくれました。T君のお母さんと私の母が玄関先で話しているのを見ながら、内心「無理に追っていって、変に騒ぎ過ぎた自分が悪いのに…」と後悔したものです。

肩車のイラスト

「T君と仲良くなるプロジェクト」はそれで終わってしまいました。高校進学時に「T君は特殊学校(現在の特別支援学校)に行くんだって」と聞きました。また同時期にT君家族は引っ越しをしてしまったので、それ以来、会えていません。

この経験は、私の福祉の原体験の一つです。大学進学時に福祉分野が頭に浮かばなかったのは、この時感じた「難しさ」があったからかもしれません。T君のお母さんは菓子折りを持ってこられた際、私の母に「私がTを中学校まで普通級にも通わせたのは、"こういう子もいるんだよ"ということを少しでも伝えたいからなんです」と話されたそうです。それから約40年が経ちました。T君のお母さんの思い、魂はずっと私の中に種を残してくれていると感じます。

次に「福祉」を強く意識するのは、最初に就職した専門学校で担任をした際のことになります。長くなりますので、今日はいったんここまでにさせていただきます。


保育士資格の前身である「保母」資格は、1947年の児童福祉法制定に伴い設けられました。社会福祉士・介護福祉士(1987年)、精神保健福祉士(1997年)より数十年早く、福祉分野で最も歴史の長い資格といえます。
ただし厳密には、同時期に「社会福祉主事」(任用資格)も存在したため「唯一」とは言い切れず、また保母資格自体も2003年まで都道府県知事認定の資格であり、国家資格ではありませんでした。本文の「唯一と言っていい」という表現は、授業での学びをそのまま記したものです。
2026年4月
次に福祉を意識した出来事

私は大学では教育学を専攻して、小学校教諭の資格を取りました。しかし現役時代を含めて4回、教員採用試験に合格できませんでした。その間は、実家に戻って塾講師などの非常勤やその他のアルバイトをしていました。より正直にいうと、教員採用試験は年1回なのですが、4回受けられる間に2回は受けませんでした。試験から逃げたのですね。大学4年時の教育実習時や、塾でも同様でしたが授業がなかなか成り立たなかったのです。子どもたちが騒ぎ出して、分かりやすく言えば学級崩壊のようになってしまうのです。教育実習では、指導教諭から「町田さん、幾晩もさめざめと泣くほどの経験をしないと、よい授業などできないですよ」と言われました。今の私には身に染みる言葉ですが、当時の私は「こんなに一所懸命授業準備をしてきたのに、授業が成り立たず騒がれて、涙を幾晩も流すなんてやってられるか!」という思いでした。

教員採用試験について、5回目はどうしようかと悩んでいた矢先、妹が先に就職を決めそうになりました。焦った私は、ある専門学校の担任兼教務事務の仕事に就きました。私の大学時代の学科名に「心理」もついていたため、心理学を学びたい、あるいは当時できて間もなかった精神保健福祉士になりたいという学生さんのクラスを担当することになりました。授業も少々受け持ちましたが、どちらかというと学生さんの相談に乗ることが大きな仕事でした。

1年目に、学生さんの研修旅行に同行する機会がありました。行先の一つは、重症心身障害児さんの入所施設(重度の身体障がいと知的障がいを併せ持つ方々に対して、専門的な医療ケアと生活支援を提供する施設)でした。一人のお子さんが、ピンポン玉を口の中から出して、学生の手に乗せようとしたり、口元に持っていこうとしたりしました。「先生、先生、どうしたらいいですか?」という学生からの質問に、私は固まってしまいました。その場は、安全面のこともあって、「ピンポン玉舐めてたらダメだぞ!学生さんも困ってるじゃないか!」といった感じで、職員の方が強めにそのお子さんを注意しておさまりました。私に質問した学生は涙ぐんでいました。

帰りのバスの中でも、この話題を話し合いました。学生たちも、そのお子さんが仲良くなろうとしてコミュニケーションを取ってくれたことは分かっていました。では、求められるままに受け取ったらいいかというと、簡単にはいかないところがあります。他の学生も「受け取ることで、またあのお子さんが注意される行動を続けることになりませんか?」と言っていました。この時も私は「そうですね。いや…、難しい。分からない…」というのが精一杯でした。

今なら明確な答えが言えるかというと、そうではありません。施設や事業所内でのルールがある場合もあるでしょう。ただ、こういったところでは立ち止まってよく考えたいと思います。またこうした場面でよく「答えなんてないから」とも言われます。確かに、絶対の答えといったようなものは見出しにくいでしょう。ただ「答えがないから」といって、そこで検討を打ち切ってしまうのはもったいない気がします。こうした「どうしたらよかったんだろう」という「問い」を持ち続けることの大切さを感じています。また「どんな行動を取ることがより適切か」を考えることも重要ですが、「どのようなことを考えて」発言や行動をするかもさらに重要であると思います。もし今あの場面に戻れるなら、みんなでそんな検討を続ける授業ならできるかもしれません。

帰りのバスでの討論

また、詳しくは書けませんが、学生さん自身の精神的なことや生い立ち、家庭環境など、いろいろと複雑な相談内容を話してくれる学生さんもいました。当時の私なりに一所懸命相談を聴いていたと思います。しかしなかなかうまくいきませんでした。決定的に、自分には相談や支援といったことの知識も経験も不足していると感じました。精神保健福祉士になろうとする学生さんと話していても、私自身がその分野をほとんど知らない、ということも痛感していました。いったん学校の仕事は辞めて、自分が福祉の勉強をし直したい、と考えるようになりました。授業をしにきてくださる先生方は現場で働かれてる精神保健福祉士や臨床心理士の方々でしたので、何人かの先生にも相談しました。「町田さんがそれをしなくてもいいんじゃないですか?」という先生もいらっしゃいましたし、「ぜひチャレンジしてみてください。夜学に行くなら昼間は作業所(現在の就労継続支援B型事業所に近いもの)でアルバイトをするといいですよ」と言ってくださる先生もいらっしゃいました。

ともかく私はしばらくして退職をして、夜学の専門学校に入って精神保健福祉士の勉強をしながら、昼間はお弁当作りと喫茶店運営を作業内容の中心にしていた精神障害者小規模作業所でアルバイト(非常勤指導員)の仕事を始めました。(次回に続きます)


2026年5月
精神保健福祉士をめざして
小学校の写真

専門学校の教務事務をしばらくして退職し、夜学の専門学校に入り直して精神保健福祉士になるための勉強を始めました。大学入学からは約10年ぶりの通学、そして勉強でした。そこでの勉強はとても楽しいものでした。「ああ、これだ!」というような感覚があったのをいまでもよく覚えています。

昼間は、以前の勤め先でアドバイスをもらったように、精神障害者の方々の作業所のアルバイト(非常勤指導員の仕事)を探しました。お弁当作りと喫茶店経営が主な作業のところでした。私にアドバイスをくださった先生は、「社会復帰施設で、寛解(※1)に近い方々と触れ合っておくといいですよ」とおっしゃっていました。

私は夜学のクラスメートに「正直なところ、街中で出会っても知的障がいの方々と、精神障がいの方々と、どちらがどちらか分からない」と話していました。すでに現場経験のあるクラスメートは、「ええ?そうなの?」と驚いていましたが、当時は本当にそのような感覚だったのです。

私が作業所でアルバイトをしていた時期は、それまでの「精神分裂病」が「統合失調症」に名称変更される時期と重なっていました。(※2)

私が働いていた作業所は、統合失調症のメンバーさん(※3)が8割くらい、うつ病や双極性障害などのメンバーさんが2割くらいでした。

ただ、働いてみて、皆さん私よりも調理ができて給仕もできて、どこが障害や病気なんだろう、という印象を持ちました。それでも、少し長く触れ合ったり、入院前後のことを伺ったりすると、それぞれに大変さを抱えながら過ごしていらっしゃるんだな、ということがじんわりと感じられました。

現場実習は、夏の時期に地元北関東の精神科病院と、自転車のタイヤ組立てを主にしている作業所で行いました。精神科病院では、実習指導員のワーカー(相談員)さんと一緒に閉鎖病棟に入ると、入院患者さんがどっと集まってこられて、次々に相談を持ち掛けていた様子が強く印象に残っています。入院時のインテーク面接から、退院時の面接まで同席させていただきました。それでも、なぜかいちばん印象に残っているのは、入院患者さんたちと病棟の看護師さんたちと一緒に、病院の運動場でソフトボールをしたことです。私は、こういう時間が好きなのだなあと思います。もちろん職員側は患者さんがケガをしないように注意しながらプレーいるのですが、その時間だけはその人自身が現れる。患者さんも看護師もワーカーもない瞬間があるように感じるのです。

自転車タイヤ組立て作業場のイラスト

次に実習した自転車のタイヤ組立てを主にしている作業所は、先に行った精神科病院とは系列も別の精神科病院に付設してありました。自転車の車輪(リム)にタイヤをはめ込んでいく、という作業をメンバーさんと一緒に行いました。かなりの重労働で、手袋をしていても初めのうちは手が痛くなりました。力というよりは、タイミングやコツがいりました。ここでもメンバーさんは、「職人」といった感じで私の倍以上のスピードで組上げていました。ただ、その中でも「名人」といった感じの男性メンバーさんが、らしくないミスを出し始めた場面がありました。数日の間に、その方は精神状態がよくなくなって、隣の病院に入院されました。実習中でしたので、どんな経緯があったのかは分からなかったのですが、その方が入院されるのは数年ぶりだと伺ったように記憶しています。その時の職員室の何となく物寂しい雰囲気や、「作業療法って何だろうね…」といった職員さん方の会話も印象に残っています。

またこの作業所の実習では、同じ専門学校の何年か先輩の方が実習指導員をしてくださいました。その方から、私が実習日誌に書いた「一般的には…」という言葉について「この語は使わないほうがいいと思いますが、最終的な判断はお任せします」と指摘されました。この時私は結局そのままにしたのですが、「言葉に気を付ける」ということについてはとても心に残っている場面です。(つづく)

※1
ここでは「症状が落ち着いて安定した状態」という意味で使っています。

※2
2002年8月に「精神分裂病」は、日本精神神経学会によって「統合失調症」へ正式に病名変更されました。主な理由は、「分裂」という言葉が持つ誤解や偏見(スティグマ)をなくして、疾病が「精神の統合機能の失調」ということを伝える目的もあったそうです。

※3
ここでは、作業所などの利用者さん、通所者の方々という意味で使っています。